2016.09.01 / トピックス

創業90周年を記念して

株式会社五藤光学研究所は、おかげさまで創業90周年を迎えました。弊社は、1926年(大正15年9月1日)、ハレー彗星に魅せられた創業者 五藤齊三が、三軒茶屋(東京都世田谷区)の自宅で日本唯一の天体望遠鏡専門メーカーとして創業しました。以来、新たな技術に挑み続け、プラネタリウムを初めとする「光学機器メーカー」として天文・映像機器の進化に寄与して参りました。これまでに培ってきた技術やノウハウを元に、現在、日本はもとより世界中の科学館や博物館、テーマパークなどで弊社の製品が採用されております。

弊社は、これからも各施設の発展のために、プラネタリウムのリアルで美しい星空を追求するとともに、年々急激な進化を遂げている最新映像技術を駆使し、高精細で迫力あるデジタル映像を取り込み、お客様に驚きと感動を提供する空間を創造すべく、皆様と共に取り組んで参ります。弊社の提供する空間で、より多くの方々が新たな発見をされることを願います。

弊社の原点は「天体・宇宙」にあります。「星とともに、技術をもとに」。これからも株式会社五藤光学研究所(GOTO INC)をご愛顧の程、宜しくお願い申し上げます。

社長挨拶・企業理念
沿革・あゆみ

技術に生きる90年のあゆみ

上段:創業の地(東京都世田谷区三軒茶屋)
下段:現在の社屋(東京都府中市)

◇ 時代を先取りした技術をめざして

五藤齊三は、自らの手で望遠鏡の市場拡大を実現したいという志から、個人経営として1926年に三軒茶屋の自宅で五藤光学研究所を創業しました。口径30mmの屈折望遠鏡を組み立て、販売を始め、販路を拡大していく中、1933年、世田谷区弦巻に自宅と天文台を併設した工場を新設し、独立企業として軌道にのりました。

1936年には北海道興部(オコッペ)で「皆既日食の全経過及びフラッシュスペクトルの撮影」に成功。天文学会からも高く評価されました。1942年には世田谷区駒沢に新工場をかまえ、戦後は天体望遠鏡だけでなく、太陽熱利用の研究、プラネタリウムの国産化など、時代を先取りした新しい事業を次々と展開していきました。

現在、工場は府中市に移転され、プラネタリウムを初めとする「光学機器メーカー」として、機器の開発・製造だけでなく、コンテンツ制作や維持管理、さらには施設運営までも手掛ける会社となりました。


上段左:1976年 マークX
上段右:1977年 60㎝カセグレン式
下段 :2002年 45㎝カセグレン式

◇ 望遠鏡の開拓者として

創業以来、低価格で高性能の望遠鏡の開発を手がけ、天文学の普及に尽力して参りました。戦後、本格的に望遠鏡の生産を再開し、1954年の理科教育振興法(理振法)の施行により、理科教育教材取り扱い店を通じて、全国の小・中・高等学校に販売され、多くの方々にお使いいただきました。

1974年には、アマチュア天文家への需要拡大をめざしシステム式赤道儀「マークX」を開発。アマチュア天体観測の多様化に対応した同機はとても高い評価を得て話題となりました。また、小型望遠鏡だけでなく、公共施設に設置される大型望遠鏡も手掛け、1977年、60㎝カセグレン式反射望遠鏡1号機を韓国延世大学に納入。インドネシア、タイ、スリランカ等に大型望遠鏡を納入しました。(下段の写真は、2002年に国立チリ大学に納入した45㎝カセグレン式反射望遠鏡)

現在では、さらなる大口径の望遠鏡開発を追求する他、インターネットを使ってリモートで制御する望遠鏡システムを手がけ、国内の大学教育機関などで活用されています。


上段 :1959年 M-1
2段目:1984年 GSS
3段目:2010年 CHRONOSⅡ HYBRID
下段 :2016年 CHIRONⅢ HYBRID

◇ プラネタリウムに夢を託して

1955年、五藤齊三は米国のプラネタリウム館を訪問し、プラネタリウムの国産化を目指す決意を固めました。当時、海外製品がプラネタリウム界に君臨しており、五藤光学研究所のような中小企業が、プラネタリウムのような超精密機械を製作することは無謀とも言われていました。これに対し五藤齋三は、「世界の主な天体望遠鏡の部品や分光学機械、精密測量等の生産企業は皆、中小企業であり、もともと超精密機械は大量需要の無いもので、経済的理由からも大企業の操業には適せず、欧州ではこれらの製作は中小企業の独壇場になっている。小型カメラ等の大量生産メーカーの大企業が、必ずしもプラネタリウムのような超大型高精密光学機械の少量製作には向いているとは言えない筈である。今こそ、私共の中堅中小企業工場において、これに挺身すべきであると確信する」との信念の下、プラネタリウムを自社開発、製造することに着手。1957年、レンズ投映式中型プラネタリウム「M-1」の開発に成功し、1959年、国産初のプラネタリウムとして東京国際見本市に出展しました。
その後、浅草・新世界、米国ブリッジポート博物館などにプラネタリウムを納入。1960年代から70年代にかけて、小型や大型ドームに対応する数々のプラネタリウムの開発、製造を手がけ、国内外に数多く納入していきます。

1980年代に入ると、プラネタリウムで太陽系近傍のあらゆる場所からみた星空の再現を可能とする制御技術を開発。1984年には世界初の宇宙型プラネタリウム「GSS」が誕生しました。

1990年代には、プラネタリウムにおけるデジタル映像技術の導入に関する研究開発をスタートし、1996年には、コンピュータグラフィックスによって3次元CGをリアルタイムにドーム全天に投映するシステム「バーチャリウム」を世界で初めて発表。天文・宇宙だけでなく、歴史や芸術、あるいは建築などプラネタリウム以外の分野のさまざまな映像表現が可能な「全天周デジタル映像システム」として、ドーム映像の新たなる時代へと夢をひらきました。

2000年代に入ると、デジタル映像機器と光学式投映機の融合を図り、2004年に、世界で初めて「光学式プラネタリウム」と「全天周デジタル映像システム」を融合したハイブリッド・プラネタリウムを発表しました。また、従来の電球に変わりLEDを光源として用いることで低消費電力化を図った投映機を次々と開発。2014年には、より本物に近い星空の再現を目指して、約9500個の恒星に固有の色を再現した世界初のプラネタリウム「CHIRONⅢ」を開発し、2016年、札幌市青少年科学館に納入しました。

プラネタリウムの変遷


上段:1970年 大阪万博「みどり館」
下段:2005年 愛・地球博「長久手日本館」
        360度全天球映像

◇ 新たな映像空間をめざす

1967年、五藤齊三は、カナダ・モントリオール万国博覧会で、ウォルト・ディズニー・プロダクションが出品した35mm9分割画面による円周映画を見学し、3年後に大阪で開催される日本万国博覧会(大阪万博)でこれを超える映像システム(全天周映画装置)を実現することを構想します。研究試作の結果、1970年の大阪万博「みどり館」に世界初の全天周映画装置「アストロラマ」を開発納入することに成功しました。投映システムだけでなく全天全周を同時に撮影できる世界最大のユニットカメラ(超広角133度、口径300mmのレンズを持つカメラ5台の組み合わせ)も開発したことは、投映機器と撮影機器のクオリティにこだわる五藤光学研究所の技術者精神の顕れです。

以後の多くの博覧会で、弊社の有するドーム映像技術、光学設計技術、ソフトウェア技術を駆使した「フィルム映写システム」や「全天周デジタル映像システム」が採用されました。愛・地球博で実現し、その後、国立科学博物館(上野)に移設された360度の全球シアターにも、大阪万博以来培ってきた弊社の技術力や先進性が活かされています。

展示・博覧会映像実績
全天球映像