Observatory公共天文台

五藤光学研究所のすべては、一本の天体望遠鏡から始まっています。1926年(大正15年)、日本光学を退職した五藤斉三は、自らの手で望遠鏡の市場拡大を実現したいとの志を立て、口径30mm(有効径25mm)のシングルレンズの天体望遠鏡を東京世田谷区の三軒茶屋で完成させました。それが、五藤光学研究所の最初の一歩です。以降、安くて良質な五藤光学研究所の望遠鏡は数多くの人々に喜ばれました。

その後、小型望遠鏡から口径10cm~25cmの大型屈折望遠鏡まで、実に様々な望遠鏡を、学校や博物館など、全国津々浦々に納入してきました。特に、1976年(昭和51年)に発売されたマークXは、初めてのシステム赤道儀として国内外から注目を集め、今のポータブル赤道儀の礎を築いたとも言われています。

現在、五藤光学研究所では一般向けの天体望遠鏡は製造していませんが、公共天文台向けの中大口径の天体望遠鏡や移動天文車(アストロカー)などに、これまでに培った光学技術が活かされています。堅牢性、安全性を兼ね備えた弊社の望遠鏡は、世界中の博物館や科学館、学校などの公共天文台で活用されており、これまでに、300を超える中大口径の天体望遠鏡を納入してきました。

天体望遠鏡の命は光を集めるレンズや鏡です。自社内に光学研磨部門を有し、収差が少なく、シャープな像を作りだす弊社の光学技術は、天体望遠鏡から始まり、プラネタリウムに引き継がれ、そこで培われた要素が巡り巡って、新しい天体望遠鏡の駆動回路、制御システムなどに活用されています。