2023.11.09 / トピックス
ー プラネタリウム誕生100周年 ー
五藤光学研究所のプラネタリウム史
今から100年前の1923年、ドイツで世界初の光学式プラネタリウムがお披露目されました。その公開に接した人々は、真昼の地上に出現した星空に驚き “Wonder of Jena(イエナの驚異)” と、その技術を絶賛しました。
1926年、ハレー彗星に魅せられた創業者 五藤齊三は、三軒茶屋(東京都世田谷区)の自宅で日本唯一の天体望遠鏡専門メーカーとして五藤光学研究所を創業しました。その後、天体望遠鏡だけでなく、その光学技術を生かしてプラネタリウムや大型映像機器など、ドーム空間や映像空間の発展に寄与して参りました。ドイツにプラネタリウムが誕生してから100年の節目にあたり、弊社のプラネタリウムを時代の変遷と合わせて5回シリーズでご紹介いたします。
弊社の原点は「天体・宇宙」にあります。「星とともに、技術をもとに」。これからも株式会社五藤光学研究所(GOTO INC)をご愛顧の程、宜しくお願い申し上げます。
- 【第1弾】国産プラネタリウムの誕生
- 【第2弾】〝星空解説〟×〝プラネタリウム番組〟
- 【第3弾】宇宙型プラネタリウムの誕生
- 【第4弾】デジタルプラネタリウムの誕生、そしてハイブリッドの時代へ
- 【第5弾】未来に向けて
【第1弾】国産プラネタリウムの誕生
◇ 国産プラネタリウムの誕生
1930年、東京上野の池之端公園において開催された「海と空の博覧会」に、五藤光学研究所は「精密太陽系運動儀」を出展、「日本で作られたものとしては稀に見る精巧なるもの」と称えられ、博覧会より金賞牌が授与されました。創業して日の浅い弊社にとって、同博覧会での発表は自社の製品開発力と技術力を示すまたとない機会となりました。さらに、京都帝国大学の山本一清博士は、この運動儀がプラネタリウムの惑星歯車と同一原理のものであるとして「日本製プラネタリウム」と命名しました。このことは、弊社が将来プラネタリウムの国産化に挑戦することを暗示する大変興味深いエピソードです。
1955年、五藤齊三は米国のプラネタリウム館を訪問し、プラネタリウムの国産化を目指す決意を固めます。当時、海外製品が絶大なシェアを誇っており、弊社のような中小企業がプラネタリウムのような超精密機械を製作することは無謀と言われていました。これに対し五藤齋三は、
“ 世界の主な天体望遠鏡の部品や分光学機械、精密測量等の生産企業は皆、中小企業であり、もともと超精密機械は大量需要の無いもので、経済的理由からも大企業の操業には適せず、欧州ではこれらの製作は中小企業の独壇場になっている。小型カメラ等の大量生産メーカーの大企業が、必ずしもプラネタリウムのような超大型高精密光学機械の少量製作には向いているとは言えない筈である。今こそ、私共の中堅中小企業工場において、これに挺身すべきであると確信する ”
との信念の下、プラネタリウムを自社で開発、製造することに着手しました。開発当初、恒星球が端部に配置されている、いわゆる「ツァイス型」を検討していましたが、機械的な剛性や光学的な精度の観点から「モリソン型」に変更すると共に、独自の惑星年周棚機構を考案し、五藤式プラネタリウムの基本型式が出来上がります。
1959年、苦心の末にレンズ投映式中型プラネタリウム「M-1※1」が完成し、東京国際見本市に出展。会場内に10mドームを仮設し一般公開しました。当時、中型機では難しかった南極の星空や年周運動も再現でき、機能面でも優れたものとして好評を博しました。翌年にはニューヨーク市で開催された全米国際見本市にも出展し、海外でも注目を集めました。同機は、1959年に初号機を浅草「新世界」に納入したのを皮切りに、1960年には米国ブリッジポート博物館に納入、生産を終了する1970年代にかけて国内外に多数納入しました。
[「M-1」納入先(国内19施設、海外9施設)]
新世界 / 富士観センター / 海上自衛隊幹部候補生学校 / 室蘭市青少年科学館 / 神奈川県立青少年センター / 釧路市青少年科学館 / 帯広市児童会館 / 山梨県立青少年科学センター / 東京海洋大学※2(旧・東京商船大学) / 那覇市久茂地公民館※3 / 栃木県児童会館 / 鹿児島県文化センター / 千葉市立郷土博物館 / 千葉明徳高等学校 / 東京都立教育研究所 / 新宿区立教育センター / 株式会社庄内観光公社 / 新潟県中越青少年文化センター / 青梅市教育センター
Museum of Art, Science & Industry U.S.A. / Lakeview Center Planetarium U.S.A. / Jefferson Country Public School U.S.A. / RogerB. Chaffee Planetarium U.S.A. / Olivet Nazarene College U.S.A. / H.C.Kendall Planetarium Murdock Sky Theater U.S.A. / Tsiolkovsky State Museum Russia / H. V. Mckay Planetarium Australia. / Sir John Casse College U.K.
◇ 国内外へと拡がる五藤式プラネタリウム
1960年、米国中西部ミズーリ州セントルイス市向けの大型プラネタリウム「L-1」を国際入札で落札。この受注は、弊社のプラネタリウムがドイツと米国の2社を相手とする世界市場で、認められる大きな一歩となりました。本体の高さは5.2m、重さ約4トン、約2万点の部品と90組約540個のレンズ、121個の投映用電球などが組み込まれ、2年余りの歳月と製作延人員約5,400人を投入して完成させたと記録されています。
セントルイス市への納入以降、海外実績を延ばすだけでなく、「M-1」を母体として対応ドーム径を大きくした「M-2」を開発。さらに、学校や地方自治体において小型普及型の要求が増えてきたことから、小型プラネタリウム「S-3」や、惑星棚が無いレンズ投映式の「S-1」「S-2」が誕生しました。これにより様々なドーム径に対応できるようになったことで、1970年代初めまで、S型・M型・L型の三つのモデルが開発され、五藤式プラネタリウムが国内外に普及してゆきました。
[納入数]
【L-1(20m)】 海外2台
【M-2(15m~18m)】 国内6台
【S-1(5m)】 国内3台・海外1台
【S-2(7.5m)】 国内4台・海外3台
【S-3(7.6m~10m)】 国内20台・海外30台(米国納入名称「VENUS」)
【第2弾】〝星空解説〟×〝プラネタリウム番組〟
◇ 風景描写
1969年7月20日、アポロ11号が月面に着陸し、人類は初めて地球以外の星にその足跡を残しました。また、1972年はジャコビニ流星群による大流星雨が予想されるなど、1970年頃は、多くの人々が宇宙に感心を持った時期でした。弊社はこうした時代背景の中、プラネタリウムに様々な機能や機構を加え、その魅力を高める工夫を行っています。その一つが風景の描写です。それまでのプラネタリウムでは、風景はドームスクリーン下部を切り欠き影絵のように表現していたものを、複数のスライド投映機を用いて風景を投映する「スカイライン(風景)投映機」を生み出し、それに加えて、「回転架台(ターンテーブル)」を搭載したプラネタリウム「L-2(GL-20)」を開発し、北九州市立児童科学館に納入しました。「スカイライン投映機」と「回転架台」を用いることで、その場所の風景だけでなく、ありとあらゆる場所の風景をスライドにより演出し、さらに、プラネタリウム本体を東西南北に水平回転することで、星空とともに風景や空間全体を鑑賞する新たなスタイルが誕生したのです。
◇ 自動演出を可能とするプラネタリウムの誕生
星空解説の中で複数のスライド投映機が使われるようになると、全ての操作を解説員一人で行うことが難しくなってきました。そこで弊社は、プラネタリウム投映機やスライド投映機などを、コンピュータのプログラムを用いて操作・演出する自動演出装置を備えた中型機種「GM-15」を開発。1972年に神奈川県立青少年科学館に納入しました。これにより、多彩な星空演出が可能になるとともに、それまでの〝解説〟に加えて〝番組〟という新しい概念が生まれ、以後のプラネタリウム施設の運営に大きな影響を与えました。
また、この時期は海外からの大型受注が続き、他社との差別化を明確に打ち出す必要がありました。そこで、〝新しいデザイン〟〝きれいな星空〟〝高精度の惑星棚〟をコンセプトとした新しいプラネタリウム「Gシリーズ」の開発も始め、「GM-15」の誕生を皮切りに、ドーム径ごとの各種モデル(GE・GS・GX・GM・GN・GL)が新規展開され、幾度もの改良を加えながら進化し、国内外のプラネタリウム施設に数多く採用されました。
[納入数]
【GE(5.5m~6.5m)】 国内28台・海外31台
【GS(7.5m~8.5m)】 国内27台・海外18台
【GX(10m~14m)】 国内46台・海外23台
【GM(14m~18m)】 国内26台・海外 7台
【GN(18m)】 国内 5台
【GL(20m~23m)】 国内 3台
◇ より複雑な演出と番組ソフトの制作
1979年、富山市科学博物館(旧 富山市立科学文化センター)に納入した「GMⅡ-AT」は、NC工作機の制御技術を応用することで非常に精度の良い自動演出装置を実現しました。これにより、これまでにない程、数多くの補助投映機を制御し、様々な映像演出を盛り込んだプラネタリウム番組の制作・投映が可能となりました。これを機に、プラネタリウムが〝星空空間〟としてだけでなく〝映像空間〟としても認識されるようになっていきます。また、この頃から他館で制作した番組を購入したり、複数の館が共同して番組を制作する動きがみられるようになったことから、1981年、良質な番組の提供を目的としてプラネタリウムソフト制作部門を弊社内に立ち上げました。当時、スライド原画約25,000枚、スカイライン原画約700シーンを所有するなど、天文・宇宙に関する莫大なデータベースを元に、プラネタリウム施設の要望に応じたプラネタリウム番組を、年間200以上も制作していました。
【第3弾】宇宙型プラネタリウムの誕生
◇ 傾斜型プラネタリウムと宇宙劇場の誕生
1981年4月12日、スペースシャトル「コロンビア」がケネディ宇宙センター(フロリダ州)から打ち上げられ、ハレー彗星の回帰が話題を呼ぶなど、多くの人々が宇宙に興味を寄せはじめたこの時期、〝傾斜型プラネタリウム〟が誕生しました。それまでのプラネタリウムは、水平な床の上にひろがるドームスクリーンを見上げる形状(水平型)であったのに対して、傾斜型は、階段状の床と傾斜させたドームスクリーンによって、まるで宇宙空間で星々を眺めるようなドーム空間を実現したものです。このためには、斜めになったスクリーン見切り(スクリーンと壁の境目)に合わせて星を見えなくする技術や、宇宙空間でみる太陽・月・惑星などの天体の位置や動きを正しく投映する工夫が必要で、当時、最新のコンピュータ技術をプラネタリウムに取り入れることでこれらの難問を解決し、恒星・惑星分離型の投映機「GSS※1」を開発。1984年、横浜こども科学館(現・はまぎんこども宇宙科学館)に納入し、初めての傾斜型プラネタリウムが誕生しました。同館には傾斜型ドーム全体に映像を映写する大型フィルム映写機(全天周映写機)が併設されていたことから、これを〝宇宙劇場〟と名付けました。
◇ 宇宙型プラネタリウムの普及と進化
「GSS」開発における技術的副産物は、コンピュータ技術、サーボ技術、通信技術、電子回路技術など多岐に渡り、これ以降、プラネタリウムは本格的なメカトロニクスの時代に入っていきます。1986年、「GSS」の技術を応用した「GMⅡ-SPACE」を開発。日周、緯度、架台、才差の4軸を演算制御することによって仮想軸回転を実現し、これにより各惑星、各衛星上などでの星空の再現が可能となりました。1988年には、小型でより高性能な「GSSⅡ」に進化し、全天周映写機(ASTROVISION)との併設も可能なことから、全国各地の科学館や博物館に宇宙劇場が普及していきました。1990年代には、「GMⅡ-SPACE」に〝コンビュータによるマニュアル投映の支援機能〟を加えた「G1014si※2」が誕生。従来の「Gシリーズ」に対し「NEW Gシリーズ」とて、「G1518si」、「G1920si」などが開発されました。
[納入数]
【GSS(20m~27m)】 国内3台・海外1台
【GSSⅡ(20m~27m)】 国内12台・海外1台
【GMⅡ-SPACE(10m~14m)】 国内7台
【G1014si(10m~14m)】 国内9台
【G1518si(15m~18m)】 国内2台
【G1920si(19m~20m)】 国内1台
◇ 一球式プラネタリウムの誕生
1990年代、コンピュータ技術の急速な発達と様々なデジタルメディアの出現により、プラネタリウムを取り巻く環境は目まぐるしく変化してゆきました。そのような中で、ユーザーの多様なニーズへの対応や競合製品との差別化を図るため、四軸を持ちながら一球形状を実現した「GSS-HELIOS」を開発。1992年、倉敷市科学センターに納入しました。この「GSS-HELIOS」は、〝球形で難しいとされた4軸制御を実現し、完全一体型を可能とすることで広視界を得ることに成功したこと〟などが評価され、通産省グッドデザイン賞※3を受賞しました。その後、「GSS-HELIOS」で培われた技術は、小・中型ドームに対応した「GSS-URANUS」に、高輝度の恒星を投映することができる大型ドーム対応の「SUPER-HELIOS」へと進化しました。
[納入数]
【GSS-HELIOS(15m~30m)】 国内13台・海外3台
【GSS-URANUS(12m~18m)】 国内5台・海外1台
【SUPER-HELIOS(18m~50m)】 国内5台・海外1台
◇ 米国で注目を集めた「GSS-CHRONOS」誕生
一方、米国では、30ft(9.14m)から40ft(12.19m)のプラネタリウム施設が数多くあり、その多くで老朽化が進み更新の時期を迎えていました。そこで、これらの施設に対応すべく米国のプラネタリウム解説員の声を集め、ニーズを取り込んだ「GSS-CHRONOS」を開発。2002年に米国カンザス州ウイチタで開催されたIPS※4で発表しました。米国のプラネタリウムでは、クリスマスの時期、キリストの誕生を知らせ、東方の三博士をベツレヘムに導いたベツレヘムの星を演出することが一般的に行われていました。当時のプラネタリウムでは年周運動を約2000年分回転させ、長い時間をかけて準備を行わなくてはならなかったのに対し、この「GSS-CHRONOS」では、XY制御の惑星投映機構を搭載することで、過去や未来の惑星の位置をわずか数十秒で再現できる卓越した運動性能を有していました。また、人間工学に基づき、運動系ごとに形状が異なるボリュームを採用したコンソールパネルを開発するなど、現在に続く操作性の基盤がこの「GSS-CHRONOS」で確立されました。
[納入数]
【GSS-CHRONOS(8m~12m)】 国内1台・海外17台
【第4弾】デジタルプラネタリウムの誕生、そしてハイブリッドの時代へ
◇ デジタルプラネタリウムの誕生
1980年代後半から1990年代にかけて多くの科学館・博物館などに設置されたプラネタリウム施設も、世の中の経済状況の悪化や投映機の技術革新を受け、新たなシステムへの変化が求められるようになってゆきました。これまで使用されていたスライド投映機に代わり、ビデオプロジェクターやコンピュータシステムを用いた新しいプラネタリウムとして、1996年「バーチャリウム」が誕生しました。「バーチャリウム」は、世界で初めて〝フルカラーの3次元コンピュータグラフィックス映像をリアルタイムにドームスクリーン全面に投映するシステム〟であり、それまでモノクロのワイヤーフレーム図形しか投映出来なかったデジタルプラネタリウムが、フルカラーの3DCG映像をリアルタイムに生成し投映できるようになり、当時、天文博物館渋谷五島プラネタリウムに期間限定で同機を設置して行った公開イベント〝バーチャリウムで探る惑星探検―キトラ古墳から宇宙へ―〟では、多くの方々の注目を集めました。その後、2003年には複数のコンピュータによる並列分散処理※1によって、地球上から宇宙の果てまでの投映を可能とした〝全天周デジタル映像システム「バーチャリウムⅡ」〟を発表し、この後のプラネタリウムシステムの中核を担うようになってゆきます。
◇ ハイブリッド・プラネタリウムの誕生
2003年に発表した全天周デジタル映像システム「バーチャリウムⅡ」は、地上から眺めた星空だけでなく、宇宙の様々な場所から眺めた星空も投映でき、これまでプラネタリウムの演出に多用されてきたスライド投映機に代表される補助投映機をはじめ、大型フィルムによる全天周映写機の機能までもつデジタルプラネタリウムでした。光学式プラネタリウムにはない多くの機能を有する反面、プロジェクターによって投映される星空は、実際の星空とは大きく異なり、星が大きく、等級差も曖昧で、本物の星空とはかけ離れたものでした。そこで弊社は、〝美しい星空を投映できる光学式プラネタリウムと、様々な機能を持つ全天周デジタル映像システムを融合させた新しいシステム「ハイブリッド・プラネタリウム※2」〟を開発し、2004年、盛岡市こども科学館に納入しました。同システムでは、〝光学式プラネタリウム〟と〝全天周デジタル映像システム〟が何ら特別な操作を必要とせずとも互いに同期、連動し、光学式の美しい星空にデジタルシステムの風景や星座絵、各種座標などを重ね合わせて投映できるだけでなく、従来はスライド投映機の数により限定されていた番組本数を増やすことが出来たり、番組の装填期間を短くするという副次的効果をもたらしましました。さらに、投映を容易に行うことができる「ハイブリッド・コンソール」によって、解説員の一連の操作を支え、現在まで続く「ハイブリッド・プラネタリウム」の歴史がここから始まったのです。
◇ 拡がるハイブリッド・プラネタリウム
光学式プラネタリウムと全天周デジタル映像システムが融合した「ハイブリッド・プラネタリウム」がお客様に評価されてゆく中、ビデオプロジェクターで投映する映像の明るさゆえに、従来の光学式プラネタリムでは星々の明るさが不足するようになってきました。そこで弊社は、2007年にハイブリッド専用の光学式プラネタリウム「ケイロン」を開発。長年培ってきた恒星原板製作技術を結集して天の川や星団などをすべて恒星で描画し星空のリアリティーを追求しました。この技術は、その後の「ケイロンⅡ」、「ケイロンⅢ」へと進化してゆきました。現在では、10億個を超える微恒星を投映することが出来るようになっただけでなく、3等星以上の明るい恒星約200個に固有の色も再現。天の川の単独調光機能や主恒星の等級差を任意に変化させる機能を付加するなど、他社の追随を許さない美しい星空の投映を実現しています。弊社のハイブリッドシステムは、単に既存の光学式プラネタリウムとデジタルプラネタリウムを組み合わせるのではなく、多様なドーム径に対応するハイブリッド専用の光学式投映機と、施設のニーズに合わせて機器構成された全天周デジタル映像システムによって構築されています。大規模、小規模、水平、傾斜など様々な条件に対応できる「ハイブリッド・プラネタリウム」は、その操作性・信頼性から、国内外多くの施設で採用されています。
[納入数(2023年10月現在)]
【12m~50m:SUPER-URANUS|HELIOS|SUPER-HELIOS|他】
国内6施設・海外1施設
【15m~30m:CHIRON|CHIRONⅡ|CHIRONⅢ】
国内24施設・海外3施設
【8m~16m:CHRONOS|CHRONOSⅡ|ORPHEUS】
国内14施設・海外17施設
【6m~15m:PANDORA|PANDORAⅡ】
国内8施設・海外6施設(米国納入名称「PANDIA|PANDIAⅡ」)
【4m~8m:AETHERIOS】
国内2施設
【第5弾】未来に向けて
◇ プラネタリウムの可能性
2023年は、近代プラネタリウムが誕生してからちょうど100年。かつて「惑星の運行」と「星空」を組み合わせて作られたプラネタリウムは、その名の由来を忘れてしまうほど、宇宙の遥か彼方までも表現できるようになりました。全天周デジタル映像システムとの融合によって、美しい星空だけでなく、太陽系の各惑星の姿や私たちの天の川銀河、あるいは銀河同士が衝突し合体していく様子など、最新の研究で得られた宇宙の姿を映し出すことで私たちを驚かせてくれます。さらに、人体や分子立体モデル、文学作品を原作とした物語、音楽や芸術までもがドームスクリーンに描かれるようになったことで、プラネタリウムは〝Planet(惑星)〟には留まらず、〝Science(科学)〟や〝Literature(文学)〟、そして〝Art(芸術)〟へと広がりを見せています。プラネタリウム空間は、さまざまな〝気づきを与えてくれる場所〟として、可能性を秘めているのです。
体感できる場所としてのプラネタリウム
宇宙から見た地球の夜明けは、地球の縁にオレンジ色から青、そして黒へと変わってゆく層としてあらわれます。それは鮮やかな色彩として見ることが出来る高度100kmにまで及ぶ大気圏であり、宇宙空間の過酷な環境から私たちを守っています。また、私たちが星空を眺める時、大気はその揺らぎによって星を瞬かせ、季節や風情を感じさせてくれます。煌めく美しい星空をプラネタリウムで再現することは、大気の存在を感じさせ、地球それ自体を知ること、そして、宇宙を想像させることにも繋がっているのです。
発見できる場所としてのプラネタリウム
現在、プラネタリウム空間では、アメリカ海洋大気庁(NOAA)などが観測した地球の各種データ(大気、海水温、海流、地震、大陸移動、生物など)を用いることで、地球の姿を様々な角度から紹介することが可能となりました。プラネタリウムは宇宙や天文を通じて科学(サイエンス)について深く知ることのできる場所であると同時に、宇宙飛行士と同じ視点で地球環境について学び、日々の生活にその視点を活用することのできる場所(Think Globally, Act Locally)です。宇宙の視点で地球を再発見し、地球環境への理解を深めることができるプラネタリウムは、SDGs※の目標達成にも貢献できる場所なのです。
育む場所としてのプラネタリウム
プラネタリウムの大きな特徴の一つは、解説員という観客を導く存在を有しながら、人間の視野を超え、多くの人に深い没入感を提供できる所にあります。かつて、天文博物館渋谷五島プラネタリウムや神奈川県立青少年センターで活躍された河原郁夫氏(1930-2021)は、〝私は人間が生きてゆくために大事なものが、このプラネタリウムという空間の中にあるのではないかと思っています。プラネタリウムは、天文学の普及のためにあるのではなく、本物の星空、自然に眼を向けさせることにある。それは、地球という星に住む一人の人間として自分自身を知ることに繋がると思うのです。広い視野と豊かな心を持って社会に貢献できる人間の形成に役立つ場所。それがプラネタリウムだと信じています〟と語っておられました。初期のギリシャ神話や星座の物語がハッブルやジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡の観測成果へと移り変わっても、プラネタリウムは人々の創造力を喚起し、想像力を育む場所として人々に愛される場所であり続けます。
◇ 星を、想いを、カタチに
100年前、ドイツの都市イエナで誕生した光学式プラネタリウム。その公開に接した人々は Wonder of Jena(イエナの驚異) と真昼の地上に出現した星空に驚き絶賛しました。そして今、光学式プラネタリウムの星空は1億を超える星々で描かれ、コンピューターグラフィックスと融合した新しいドーム映像となり、その昔〝驚きを与えた星空〟は、〝心に響く感動の星空〟へと進化しています。弊社は、1926年に日本唯一の天体望遠鏡メーカーとして創業して以来、多くの人々に星空に親しみ、学ぶ機会を創り出してきました。提供する製品は天体望遠鏡からプラネタリウムや全天周デジタル映像へと変わっても、星空を追求し、新しい技術を求め、磨き、未来に向けたモノづくりへの挑戦は変わりません。「星とともに、技術をもとに。」これからの五藤光学研究所にご期待ください。